カトリック上福岡教会

説教

復活節第6主日(A年 2020/5/17)

ヨハネ14:15−21

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻ってくる。」

主キリストは最後の晩餐で、ご自身の十字架の死を目前に、この不思議なことばを弟子たちにお語りになりました。しかし、これはいかなることなのでしょうか。十字架の死の後、主キリストはいかにして私たちのところに戻って来られるのでしょうか。

実は、主キリストはこのおことばの前に、すでに次のように仰せでした。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。」

主キリストは十字架の死の後、私たちをみなしごすなわち十字架の下に一人蹲ったままには決してされません。その保証に、「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と仰せでした。「弁護者」ご自身であるご復活の主キリストの「別の弁護者」は、「真理の霊」つまり「聖霊」であるとされます。

ご復活の主キリストご自身および「聖霊」は、新約のギリシャ語でともに「弁護者」と呼ばれます。ここで「弁護」とは、いかなることなのか。「弁護」とは、(助けを要する人の)傍らに来て助ける」ことを意味する言葉です。旧約のユダヤの言葉および新約ギリシャ語での「復活」すなわち「助け起こす」「再び生かす」と同じ内容です。

そうであれば、「別の弁護者」と呼ばれる「聖霊」は、実は「弁護者」ご自身であられるご復活の主キリストの目に見えない、しかし確実に私たちを助けてくださるお姿に他なりません。実際、「別の弁護者である聖霊」は、主ご自身によって「真理の霊」とされますが、ここで「真理」が主キリストご自身であることは、すでに先週の福音で、主が「わたしは道であり、真理であり、いのちである」と仰っておられた通りです。

したがって主キリストが私たちに「真理の霊」をくださるとは、「真理」である主ご自身の「霊」つまりご自身の「いのち」をくださるということです。つまり、十字架に死んだ主ご自身を、私たちの追憶の対象としてではなく、「私たちの傍らに来て助け起こし、再び生かしてくださる真理、つまりご自身の霊・聖霊」として、私たちにお与えくださると言うことです。今日の福音で、主は次のようにも仰せでした。「しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見るわたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」

「真理の霊」は、「生ける主ご自身の霊」、すなわち「主キリストのいのち」です。それは同時に「私たちを生かす神の霊」です。傷つき、疲れ切った者、否、命を失った者に、いのちを与えるご復活の主キリストご自身の霊です。「わたしが生きているので、あなたがたも生きる」(ヨハネ14:19)と主は仰せです。事実、ヨハネによる福音は次のように伝えています。すなわち十字架の死に打ち勝って復活された主キリストは弟子たちに「息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい』。」(ヨハネ20:22)

「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」と仰せの主キリストは、十字架の後、「あなたがたのところに戻ってくる」とお約束くださいました。主は、まず、「弁護者であるご復活の主」として、十字架の下に蹲っている私たちを「助け起こして」くださるために戻って来てくださいました。さらに、「真理の霊である聖霊」つまり別の弁護者」として、繰り返し苦難の十字架の前に蹲ってしまうような私たちを、「傍らに来て助け起こし、再び生かして」くださるために戻って来てくださいます。

ただし「弁護者」であるご復活の主キリスト、さらに「別の弁護者」である「聖霊」は、いかにして私たちの許に戻って来てくださるのでしょうか。私たちはご復活の主キリストと、「聖霊」すなわち私たちを死んだ者ではなく生きた者としてくださる主の「いのち」を、いかにして、またいつどこでお迎えすることができるのでしょうか。

それは、待ち望まれるごミサにおいてです。カトリック教会は、古来、ご復活の主キリスト、さらに「聖霊」を黙想させていただく時には、必ず、「エウカリスチア」つまり「ごミサ」、とりわけ「ご聖体」を黙想してきました。なぜなのでしょうか。実は、主キリスト、とりわけ聖霊において生き、私たちを生かしてくださるご復活の主キリストは、決して目に見えない不思議な存在などではありません。この方は、十字架の死と復活を経て、私たちのために「エウカリスチア(ご聖体)」になり、私たちの内にまで来て私たちを生かしてくださる、生ける主なる神・聖霊なる神です。

最後の晩餐での主キリストのお約束通り、ご復活の主、さらに「聖霊」として私たちを助け起こし、再び生かしてくださる主。この方を、ごミサにおいてお迎えする、否、拝領する。これが、カトリックの私たちに与えられる父なる神からの最大の祝福です。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

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