説教
年間第18主日(C年 2025/8/3)
ルカ12:13−21
今日は、現代社会の重要な価値観の一つ、「能力主義」について考えてみたいと思います。能力主義は、「誰でも頑張れば成功できる」、「能力に応じて報われるのが公正だ」、「能力に合わせて褒美をもらうのが正しい」と考えることです。特に若い人たちに人気があります。
しかし、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という本の中で、この能力主義には大きな問題があると言っています。たとえば、アメリカの有名なバスケットボール選手レブロン・ジェームズは、何億円も稼いでいますが、それは彼の努力だけの結果でしょうか? サンデル教授は、才能や体格、そしてそうした能力を高く評価する社会や時代に生まれた「運」も大きく関係していると言います。もし彼が江戸時代の日本に生まれていたら、有名なバスケットボール選手になれたでしょうか?
強い努力も大切ですが、生まれ付きの才能や、家庭環境(育った環境)、社会的背景、そして社会が何を価値とするかが、能力や成功に深く関係しているというのです。
また、能力主義にはもう一つの問題があります。成功者の「傲り」と、失敗者の「屈辱」を当然と考えてしまう危険性があります。成功した人は「自分の力で頑張ったからだ」と思って、偉そうになりやすくなります。反対に、失敗した人は、「自分が悪い」と思い、自分を責め、悲しくなって、惨めな気持ちになってしまいます。
私たちはどうすれば良いのでしょうか? サンデル教授は、自分の成功のうちにある「運」を認めることで、偉そうにしないでいられると言います。私の成功は、社会や他人の支えがあってこそであり、自分だけの力ではないということに気づくことが大切です。そうすれば、他人を見下したりせず、すべての人の働きや存在を大切に思えるようになります。本当にみんなが幸せになれる社会は、能力で勝ち負けを決めることではなく、ほかの人を思いやる心や、一緒に生きていこうとする気持ちで作られます。
今日の福音書には、イエスのたとえ話に愚かな金持ちが出てきます。彼は豊作に恵まれ、それをすべて自分のために使おうとしました。イエスはその人を、「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者」だと批判されました。彼は、豊作が自分の能力だけで得られたと考え、神の恵みに気づいていませんでした。
聖ヨハネ・クリゾストモ司教は、「種を撒き、畑を持っているのは人間だが、成長させるのは神である」と述べています。そして、収穫(作物)を貧しい人々と分かち合うことが金持ちの使命だとも言っています。
私たちも、自分の努力や才能だけに頼らず、神の恵みと、周りの人々との支えに感謝し、持っている物を他人と分かち合いましょう。そして、「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。」、「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」(コロサイの教会への手紙3:1−2)という聖書の御言葉のように、現世的な欲にとらわれず、神との関係に生きることを大切にしましょう。
私たち皆が、自分の努力や能力だけを信じすぎるのではなく、そこにある神の愛や恵み、家族とか友達とか、隣人などの周りの人たちの働きに感謝することを忘れないようにしましょう。自分だけがよく生きようとするのではなく、他の人を大切にし、思いやりの心で一緒に生きていくことで、不公平のない、本当に正義の神の国を作っていきましょう。そして、愚かな金持ちのようにならずに、神の愛と恵みに感謝して、神と人々のために、自分の持っている物を喜んで分けられる信者になれますように。
カトリック上福岡教会 協力司祭 イ・テヒ神父